〜 私にとっての音楽 〜
私は、存在する全てのジャンルの音楽について学ぶことを、常に心がけています。もちろん、すべてのジャンルの音楽を知ることは無理でしょう。しかし、可能な限り多くの音楽に触れ、学びたいと考えています。なぜなら、ひとつのジャンルのみにこだわった場合、自分の音楽生活における成長が、そこで終わってしまうような気がしてならないからです。様々な音楽に接し学ぶことで、自分の成長と可能性が無限のものとなるのではないでしょうか。そして、そこから自分自身のオリジナリティが生まれるものと信じています。
私は、学生の頃からいろいろな音楽に触れてきました。最初に学んだのはピアノで、ビリージョエルの曲を必死に勉強しました。次に魅力を感じ、レッスンを始めたのがボーカルでした。ボーカルと言えば、誰でもできるように錯覚しがちですが、全くの間違いでした。その発声方法を学ぶことは、想像以上に奥が深く、厳しいものです。そのころに、私は、尾崎豊という偉大なミュージシャンに出会うことになります。
〜 尾崎豊との出会い 〜
私が初めて尾崎豊の歌を聴いたのは、高校生の頃でした。その当時の尾崎豊は、私にとっては、ただの歌手というだけの存在でした。その頃の私は、メロディ重視で、彼によって創られた歌の中に秘められたメッセージや思いなどには目もくれなかったため、その存在の偉大さを知る由もありませんでした。私の中での彼は、存在の薄い影のようなものだったのです。
その尾崎豊が、私の中で大きな存在となったのは、大学進学のため上京してからです。私は、一人で生活するようになり、自由な時間を利用し、様々なジャンルの音楽を聴きあさりました。ハードロック、ジャズからポップス、演歌、クラシックまで。その中に、尾崎豊の「街の風景」という曲があり、そのメッセージが、私の心の中に、今までにない感情を植えつけたのです。それは、私が一人で生活していたからこそ、気づくことができたのだと思っています。だからこそ、彼のメッセージを受け入れることができたのだと思います。
その「街の風景」という曲には、なんとも言えない寂しさを感じました。自分の無力さや必死で這い上がろうとする気持ちを、自分と重ねることができたのです。
〜 私の友人にこんな人がいます 〜
私の学生時代の友人の中に、ハードロックやヘビーメタルが好きな人間がいました。今の私が存在しているのは、その友人の影響がかなり大きいような気がします。彼は、人と付き合うのが大の苦手で、自分の部屋でひたすらエレキギターを弾いていました。エレキギターだけでも20本以上持っていました。もちろん、グループで構成されるバンドなどには所属しておらず、自己満足の世界に浸っている状態でした。しかし、彼は、ものすごい音楽感覚を持っており、ある意味では天才と言っても過言ではなかったと思います。一流のギタリストのテクニックを要する曲を、2、3度聴いただけで弾きこなしてしまうのです。
彼の部屋に遊びに行くと、必ずといって良いほど、ハードロックやヘビーメタルの曲が流れていたのをよく覚えています。その友人の影響で、ハードロックやヘビーメタルをよく聴くようになりました。
その友人は、今ではギターを全く握っておらず、ただのサラリーマンになっているようです。彼がバンドをやれるような人間であったならば、今頃は・・・。
|