〜 「音楽」と「歌」について考えてみよう 〜
皆さんは「歌」というものをどのようにお考えでしょうか。
「人は世につれ、世は歌につれ」という言葉もありますように、人と歌そして時代には密接な関係があり、時間とともに歌も常に変化しているのです。世間では「歌」という言葉を頻繁に口にしますが、そもそも「歌」というものが何であるのか、考えられたことはあるでしょうか。ここでは、「歌」が一体何であるのかを、私の経験をもとに少し考えてみたいと思います。
まず、「音楽」と「歌」について、考えてみましょう。これら両者は、一見似たようなものだと考えがちですが、本当にそうなのでしょうか。実は、私の中では、「歌」と「音楽」は全くの別物なのです。
〜 「音楽」とは 〜
「音楽が趣味」とか「音楽が好き」とか言われるのをよく耳にしますが、果たして、この表現は本当に正しいのでしょうか。「音楽」とは、「音を楽しむ」と書きます。このことからも分かりますように、「音楽」とは、かなり広い範囲を意味しています。楽器の音はもちろん、その他のあらゆる音を楽しむことなのです。それは、メロディをも超越した次元で存在しています。さらに、「音楽」とは、様々な音を組み合わせた芸術とも言えるのではないでしょうか。
このように、音楽の本質を考慮しますと、「音楽」を趣味にすることは、相当に高度で天性的な能力が必要であることが理解できると思います。
〜 「歌」とは 〜
一方、「歌」とは何でしょうか。それは、メロディにつけた言葉を意味します。この「歌」についても、世間では間違った使われ方がされているようです。「歌が上手い」「歌が下手」などという表現を、考えてみましょう。「歌」とは、メロディを重視するのではなく、言葉をどう表現するかが重要となります。従って、音程が多少外れたところで、大した問題ではありません。音痴だからと言って「歌が下手」とは限らないのです。したがって、「歌」には、上手・下手の概念はありません。しかも、「歌」で人を感動させることは、凄く簡単なことです。なぜなら、言葉で自分を表現すればよいのですから。だからこそ、「歌」とは、誰もが楽しめるものなのではないでしょうか。
〜 「カラオケ」とは 〜
「歌」について、私の経験をもとに、もう少し考えてみたいと思います。皆さんのほとんどの方が、「カラオケ」で歌ったことがあると思います。しかし、「カラオケ」とは一体何かを考えたことのある方は、非常に少ないのではないでしょうか。それでは、「カラオケ」とは一体何物なのでしょうか。私にとっての「カラオケ」とは、「歌」を歌うチャンスを与えてくれる機械だと考えています。
私が初めて「カラオケ」で歌ったのは中学生の時でした。その時、ある人から「カラオケうまいね!」と言われたことがあります。にもかかわらず、私自身、その一言に凄く淋しさを感じたことをよく覚えています。なぜなら、私は「カラオケ」が好きだったのではなく、「歌」が好きだったからです。それに、前にも述べたように、「歌」には上手・下手の概念がありません。ですから、「歌が上手」と言われても、それは意味のない言葉として受け止めていたのでしょう。
それからというもの、「カラオケ」とは空しいものだという固定観念を持つようになってしまったのです。しかし、私は「歌」を歌うことが何よりも好きでした。いつも時間を見つけては、歌っていました。
〜 「カラオケ」を乗り越えろ! 〜
しかし、時代というものは残酷なもので、中学生の時から敬遠してきた「カラオケ」が、私が大学に入学した年、ついにカラオケボックスという形で全盛を迎えてしまったのです。私は、その時、大変困惑してしまいました。友人をはじめ、私の周りのほとんどの人間が、何かにつけてカラオケへ行きたがるのです。私は、いやいやながらカラオケで歌ったものです。それからというもの、「カラオケ上手いね」とか「歌うまいね」という淋しくむなしい言葉を聞かされ続ける羽目になるのです。私は、この淋しい「カラオケ」をどうにかしなければ・・・という思いが募ってきました。そこで、私は「カラオケ」をどうにかして楽しく歌う方法はないものかと考え続けました。そして、ついに「カラオケ」を超越することを目指し始めたのです。それはとっても簡単なことでした。ただ、「カラオケ」を利用して「歌」を歌えばよかったのです。
私は、その時はじめて、「歌」が上手・下手を超越した次元に存在することを知ったのです。
〜 最後に 〜
これまで述べたことは、あくまでも私自身の考えです。皆さんにもそれぞれの考えをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。ただ、私の考えもご参考頂き、自分なりの結論に達して頂ければ幸いです。
皆さんも、これを機会に「歌」について、少し考えてみてはいかがでしょうか。
「歌」とは、楽しいものだということに行き着かれることでしょう。
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